偽善、not 偽善

以前のブログに書きましたが、心理学を一度きちんと学びたいと思っていて、ネットで本を見ていたら、いかにも大衆的な、売るためのインパクトが過剰なタイトルをつけられた、私の仕事に関わるような心理学の本があったので、数冊気の向くままに買ってみました。

その本の内容がどうこうではないのですが、今日、それとは別に図書館から借りてきた明治期の文豪が書いた文章を現代風にアレンジしたような小説を読んで(妙に辛口?)、人間の心理ってのは深かったり、浅かったり、他人には理解が難しいものだなというのを改めて感じました。

私の仕事に関する分野として、よく「人の役に立つ仕事、人に喜んでもらえる仕事をしたい」というセリフがあります。

どの仕事も人の役に立っているからこそ仕事として成り立っているんだと私は考えていますが、そのセリフを言う人は「自分にとってそれがより実感できる」仕事を求めているわけです。

労務管理の分野でもよく言われますが、人にとって仕事の対価は金銭だけではなく、自己を承認してもらうこと(自分が認められたり、褒められたりすること)も大きなものとしてあります。

上記のセリフを言う人は、金銭欲求も当然あるが、自己の承認を得られることが仕事での対価であるという傾向が強いということです。

つまり、当人が本当に望んでいることは「人の役に立つこと」ではなく、「人にありがとうと言われて自分が喜べること・うれしくなること」です。
もしくは、人からお礼とか承認が得られなくても「人の役に立ったことをしたんだという自己満足が得られること」です。

ということで、帰結は自分のためでしょ?ってことです。
辛口ですか?(笑

お金ではなく、自己承認を対価として求めているだけということです。

ボランティア、寄付とかは、対価として金銭はもらえませんが、上記の自己満足は得られることがあります。(寄付などは逆に金銭は減りますが)

その自己満足を得る気持ちが無い行動が「善行」であって、人から「そんなことして偉いねと言われること(を期待して)をやっている」とか「自分の中で満足得られるからやっている」というのは「偽善」ということになるのでしょうか。

といってもこう書いている私は決して偽善を否定しているわけではないので、誤解なきよう。

人というのはそれらの欲求があってこそ常人であると思ってますので。
それらから解脱するのが難しいのは、仏教等の宗教で言われる通りです。

と、つらつら考えていたら、一番の偽善ではない善行(人の役に立つこと、社会の役に立つことなど)をするものがふと思いつきました。

それは人間が作った「機械、道具など」です。
それらは何も対価を求めず、役に立ち、そして要らなくなったら捨てられてしまうだけです。

心を作ってあげてないから、求める心や自己がないから当然ですね。
AIはよくわからないけど。

それって、生きものじゃないじゃないかという突っ込みはご勘弁を(笑

そもそも、人の役に立つこと、社会の役に立つことというのは人間の規範の範疇での価値観であって、人間社会の外に出ればそれらは無意味だし、機械・道具も人間社会から外に出れば無意味なものだし、それらは人間の規範の範疇にあるものでしょう。

これらのことは恋愛関係など、人間関係全般に言えることでもあります。
いろいろな分野の小説を読むようにしてますが、人=自己というものをどうとらえるか、考えるかというのが根底にあります。

誤謬を無視して、つらつら書きました。
決して何ヶ月も、何年も考えて書いたわけではなく、思いついて書いただけなので、理論的な破綻箇所、ほつれは気にしないでください(笑

自己満足のブログですから。


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by srmurakami | 2017-05-14 22:48 | ブログ | Comments(0)

山口市で村上労務経営事務所代表として特定社会保険労務士、行政書士をしております。日々の出来事や社会問題などを主につづりたいと思います。
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