1
みんな生活していく中で大小さまざまな決断をしていますが、生活とは別に企業の経営者の方々はその役割に応じた様々な決断を日々行っていると思います。
かくゆう小さな小さな事務所であるうちもそれなりに決めていかないといけないことが迫ってきます。
今年初めの大きな決断として、増員する職員を決定しました。
これで正職員5名、パート1名+私の計7名という陣容になりました。
これで一つ責任を増やしたわけです。
人件費は気になるところですが、これでやっていけるように事務所を維持する努力を自らに課すことになります。
この決断に伴っていろいろの小さな決断をしていくことになります。
パソコンの購入、事務所の電気系統の安全確認、備品の購入、社用車が現在私の車+3台なのでもう一台増やすかどうか、社用車を増やすなら駐車場をどうするか、担当先の再編等々、色々と決めていかなければなりません。
規模の拡大を目指してはいないのですが、サービスの充実と職員の待遇の向上の両輪をうまく回せるように、とにかく考えて、考えて動きます。
かくゆう小さな小さな事務所であるうちもそれなりに決めていかないといけないことが迫ってきます。
今年初めの大きな決断として、増員する職員を決定しました。
これで正職員5名、パート1名+私の計7名という陣容になりました。
これで一つ責任を増やしたわけです。
人件費は気になるところですが、これでやっていけるように事務所を維持する努力を自らに課すことになります。
この決断に伴っていろいろの小さな決断をしていくことになります。
パソコンの購入、事務所の電気系統の安全確認、備品の購入、社用車が現在私の車+3台なのでもう一台増やすかどうか、社用車を増やすなら駐車場をどうするか、担当先の再編等々、色々と決めていかなければなりません。
規模の拡大を目指してはいないのですが、サービスの充実と職員の待遇の向上の両輪をうまく回せるように、とにかく考えて、考えて動きます。
▲
by srmurakami
| 2018-01-26 00:12
| ブログ
|
Comments(0)
今年、私は年男です。
それもあってか、今年は仕事としては「動」の年にしたいという思いがあります。
昨年は、「静」の年でした。
今までの仕事を整えるのに専念する感覚です。
今年は一転、新しいことなどを始める「動」の年にしたいと思います。
大体、この「動」と「静」は順繰りに訪れます。
ただし、自らは「動」の年にしようと思っていても、新規ご依頼などで身動きが取れなくなり結果として「静」の年になることもよくあることです。
さて、今年は思い通りになるかどうか、いや、思い通りの目標に向かって全力を挙げないといけないんですけどね。
閑話休題。。。
年始にふさわしくない話題ですが、昨年末に、一生に2回しか訪れない身内の不幸の2回目が突然訪れてしまいました。
両親というものは、私の感覚では私(子供)と社会を繋ぐ「絆」のような思いがあります。
その絆が全く欠けてしまうと、私としては繋がっている何かが消えてしまったような思いです。
繋がっていない分、ふらふらとどこへでも行ってしまいそうな感覚です。
ふらふらとどこかへ行くことなど当然ありえないのですが、私がどうなっても、何をやっても両親をもう悲しませることがありえないということを思うと、まだ地に足が付いていないような浮揚感を感じてます。
時間が経てばそれも薄れると思いますが、親を喜ばせも、悲しませることもできないというのは、なってみないと分かりませんでしたが空虚なものです。
年始早々暗い話題で恐縮ですが、そういうこともあり今年は失敗も恐れずにチャレンジする「動」の年にしたいと思います。
どこへ向かうのやら。。。
それもあってか、今年は仕事としては「動」の年にしたいという思いがあります。
昨年は、「静」の年でした。
今までの仕事を整えるのに専念する感覚です。
今年は一転、新しいことなどを始める「動」の年にしたいと思います。
大体、この「動」と「静」は順繰りに訪れます。
ただし、自らは「動」の年にしようと思っていても、新規ご依頼などで身動きが取れなくなり結果として「静」の年になることもよくあることです。
さて、今年は思い通りになるかどうか、いや、思い通りの目標に向かって全力を挙げないといけないんですけどね。
閑話休題。。。
年始にふさわしくない話題ですが、昨年末に、一生に2回しか訪れない身内の不幸の2回目が突然訪れてしまいました。
両親というものは、私の感覚では私(子供)と社会を繋ぐ「絆」のような思いがあります。
その絆が全く欠けてしまうと、私としては繋がっている何かが消えてしまったような思いです。
繋がっていない分、ふらふらとどこへでも行ってしまいそうな感覚です。
ふらふらとどこかへ行くことなど当然ありえないのですが、私がどうなっても、何をやっても両親をもう悲しませることがありえないということを思うと、まだ地に足が付いていないような浮揚感を感じてます。
時間が経てばそれも薄れると思いますが、親を喜ばせも、悲しませることもできないというのは、なってみないと分かりませんでしたが空虚なものです。
年始早々暗い話題で恐縮ですが、そういうこともあり今年は失敗も恐れずにチャレンジする「動」の年にしたいと思います。
どこへ向かうのやら。。。
▲
by srmurakami
| 2018-01-04 22:43
| ブログ
|
Comments(0)
1